たまに書くかもしれない

(年齢だけは)大人のジャニオタの吐き捨て場的なもの

『朗読劇 手紙』観てきた

東野圭吾の『手紙』を朗読劇として舞台化。

当然ですがこちらもですね、福ちゃん!こっしー!あっ高田くんと室くん!?よっしゃよっしゃ!!ってテンションで申し込んだら両方当たったんですよ。しかし同日狙ってたはずだった気がするんだけど別日に分かれてしまってまぁその、交通費は、、、うん、、、

って思ってたんだが、これを同日に観るのはきつい。

別日で良かったと思った。

そもそも『手紙』は映画にもドラマにもなっているのでうっすら中身は知ってるんだけど基本的に東野圭吾はもっとミステリミステリした作品のほうが好きなので、この作品は避けてたんでね…まぁ観に行く前に読んだけど本当しんどいんですよ。

今回原作に少し色をつけて、原作にない「弟・直貴が娘に宛てた長い手紙」を設定して、その手紙に沿って直貴と獄中にある兄・剛志の人生の交錯が描かれるの、とてもわかりやすかった。演者が2人しかいないからこそ、各チームの個性の違いが如実に表れるのも贅沢で楽しくて、こういう見方ができるのもおもしろいよね。

どうしても各チームのそれぞれの違いを焦点にしてしまうけど、本当にどちらも熱のこもった演技で圧倒されました。

 

福ちゃんとこっしー

福ちゃんとこっしーがメインで演じている剛志は、弟直貴の学費を稼ぐために空き巣に入り、人殺しをしてしまって獄中の人となる人物。愚かなんですよ、弟のためを思ってるのはもう本当によくわかるけど、破滅的に犯罪には向いてない。そこから始まる悲劇なので…。で、2人は剛志以外の役もほぼこなしているのが肝で(?)、剛志との対比ですごい個性が出てる気がしておもしろいです。当然これ全部主観なんだけど。

福ちゃんは、真ん中に剛志の人格がすごく重たく存在してて、直貴へ宛てる月イチの手紙ひとつひとつに、こんなことをしてしまったが故の弟への恐れみたいなのがあって、それが静かながらもメガトン級の重さ。愚鈍に手紙を書き続ける剛志が、直貴からの絶縁状ともとれる手紙で初めて自分の真の愚かさに気づき、慟哭する。「追伸」から始まる最後の叫び、これまでに気づけなかった自分の行いへの動揺と後悔が爆発してて、顔をぐしゃぐしゃにして泣く福ちゃん圧倒的です。

対してこっしーは剛志の人格というよりは剛志以外に演じる複数の人物を通して剛志の罪を表現している印象。直貴の後の妻となる由実子役のクセが福ちゃん版よりもさらに強くてだいぶ笑ったんだけど(真面目に読んでる室くんに向けて「無視ぃ?」は別の意味で罪)、由実子以外の人物もかなり大仰(言い方)に、室くんに噛みつくように演じていて、その分剛志は少し抑え目な感じがしました。でもそれが、直貴に直接関わる周辺の人物のダイレクトな印象に繋がって剛志の罪の重さを感じざるを得ない。そして直貴からの手紙を読んで、そのままこと切れてしまうかのような独白の「追伸」。足掻くことをすっかり諦めたような、ぽつん、と言う「追伸」は虚無すら感じて、あまりにも静かな幕切れ。

簡単に言ってしまうと、静から動で終わる福ちゃんと動から静で終わるこっしーって感じだなぁ。

あとこれも言っていいのかと思うんだけど福ちゃんの剛志って、武司なのよ武司。懐かしの若葉のころの武司!自分で言ってて懐かしすぎて震えてる。

それとこっしーがどう見ても水分補給してなかった気がするんだよなぁ。大丈夫なんかなぁ。なんかこれ見て、福ちゃんはゴリゴリに強いメンタルを自分で壊していく演じ方で、こっしーはメンタルブレイクする前に身体が死ぬ演じ方なんじゃないかなぁってちょっと思いました。

 

高田くんと室くん

まずこの2人が演じてる弟・直貴は娘へ向けた長い手紙を読んでいるので、とにかく喋る量が多いことに感嘆した。その中で回想シーンみたいな感じで会話も挟まれるので、狂言回し的な役割に加えて感情が揺れて爆発する演技も多分に含まれているのでとにかく忙しいというか、それがもう凄い。福ちゃんこっしーは、直貴以外のほぼすべての人物を演じるっていう凄みがあるんだけど高田くん室くんの長い長い手紙+感情の爆発合わせ技もちょっとえぐい。途中で噛むことすら情熱の賜物って感じだった。

兄の起こした強盗殺人により、強盗殺人犯の弟というレッテルを貼られ、卒業、バンド、仕事、恋人、結婚、子供と、人生のステージを踏むたびにそのレッテルに苦しめられる直貴。荒んでは立ち直り、荒んでは立ち直りの繰り返し。途中で「諦めることには慣れた」って言うんだけど、その、人生への諦めとか自分が背負った荷物を受け入れざるを得なかったことを高田くんは虚無の瞳で魅せてくれる。室くんはその諦めを薄ら笑顔で表現する。兄への絶縁状、高田くん版直貴は強い気持ちで書いてるんだろうな。必ず兄との縁を断ち切るんだという強い気持ちから少しだけ漏れてしまう兄への思いが皮肉なの。断ち切りたい強い思いが逆に兄への気持ちを際立たせる。

室くん版直貴は優しい。兄への絶縁状、室くんとこっしーが交互に、ときに一緒にその手紙を読み上げるんだけどこっしーが読んでるとき、室くん涙こぼすんですよ。兄との縁を断ち切るなんてできない、でもやらなきゃ自分が壊れる、でも….っていう、兄への思いに自覚的な感じがする。だから、涙がこぼれる。イマジンを歌っているときもそう。生活の中でポロンと弾き語りする程度の完成度を超えた歌声なんだけど、途中で涙で詰まるの。そういうの含めて兄への思いが自覚的だなぁと感じる。高田くん版のほうが本来の意味での「絆」を感じざるを得ないし、室くん版のほうがもどかしさを感じるみたいな。あのつまり、どちらにしてもえぐい。

 

セット

朗読劇がどんなものなのか、私は今回が初めての朗読劇観劇だったのでまったく知らなくて、でもこんなにセットが本格的に組まれているとは思わなかったのでびっくりしたんですけどこのセットがそれだけで作品を表してて感動した。

おそらく直貴が家族で生活しているリビングとダイニング。子供のおもちゃもあるしテレビもある。まさに生活空間。しかしその空間は格子で覆われていて、牢獄の中に直貴の生活が閉じ込められている。そして、そのリビングダイニングの真ん中に存在するのは、牢獄で手紙を書いているであろう剛志の机。

鳥肌が立つセットだったな。直貴の生活はずっとずっと牢獄に囚われていて、それだけでなく生活のど真ん中にどうしても避けられない兄の存在がある。それをあのセットで表現してるんだと思うと、マジでセットの力強すぎて…

 

高田福田版と越岡室版と原作

越岡室版のほうが公演時間短いらしいんですね。

なんかすごい納得ですね。

高田福田版って、剛志の犯罪の影響が直貴の生活に「ジワジワと侵食してくる」感があるのに対して越岡室版は「襲い掛かってくる」激しさを感じる。

どっちもしんど~…つら~…ってなるんだけど、実は原作はもっとしんどい。

序盤の剛志の強盗殺人の場面での食べ物のエピソードと、終盤の慰問エピソードが舞台では省かれていて、あそこがわりと原作でかなりえぐい感じだと思うんですよね。

それがなかったのと、あとやっぱり演者がいることによってエンタメとして消化しやすい部分はあるんだろうなと思う。演者が純度100パーセントジャニーズの舞台だからこそできるであろうカテコのおちゃらけに救われた部分はかなりある。

勿論原作の重たさは必要不可欠なもので、原作は原作で感想があるんだけどそれは本の感想になっちゃうのでそれ書いてたらまた原稿用紙必要になってしまうので…。

 

最後の感想

ほんとに、演者が違うだけでこんなに違うものになるんだ!?という驚きですよ。

ま~~じで贅沢極まりない楽しみ方でしたね。

あとは、今回もやはり思ったのは役者って常人じゃできないよねっていうことです、検察側の証人、ネバーザシナーに続いて殺人モノ連続だったので余計なんだけど、役者凄いねぇ…。

内容的に邪な感想言いにくいんですけどみんなかっこよかったな…。

 

朗読劇手紙は本日千秋楽、ネバーザシナーは昨日千秋楽でしたね。

無事に最後の幕を下ろすことができて本当に良かった。

検察側の証人はあと少し、こちらも最後の幕が下ろせることを願っております。

そして私の、晩夏の4連続殺人モノ舞台観劇も終わりましてよ!

めっちゃ楽しかった!!どうしたらいいの!こういう生活続けたいよね!!!

 

 

朗読劇 手紙【9/17夜 高田福田】【9/19夜 越岡室】

脚が痺れて動けない福ちゃんを助ける高田くん。

カテコ3回のちスタオベ(だった気がする)。

あと変な踊りしながら捌けていく2人が可愛かったぞ~!!

こっしーも話が終わって暗転してすぐ深々とお辞儀してんのかと思いきや机に突っ伏して「立てへん…」って呟いて室くんに助けてもらっていた(笑)。

越岡室ペアも、キャッキャしながら捌けていくのは本当に可愛かった…ここでいったんスパッと、作品の重量級の重たさを断ち切ってくれるのはありがたかった。

あと越岡室ペアのときだいぶ席が前で、ホクロとか(そこかよ)手のゴツさかめちゃめちゃ見えるので定期的に意識が飛んだ。あとしゃべり始める前に舌で唇舐めるのやめてください色気がががががが。朗読劇なので手に持っている台本の文字が見えるのもゾワゾワしたし、文字を追う瞳の動きまで見えるの最高すぎましたね、これもう無理でしょこんなん観たらこっしーから逃げられないんですが???